幸せってなんだろう

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人生を振り返る

地元でも比較的大きな商家の後継ぎとして生まれ、周囲からは坊ちゃんとして他人様より裕福に育ったのですから、幼少期から15才までの人生は、同級生や周囲の人達からは羨ましい存在だった事でしょう。

生後数カ月から5才まで母親の存在を知らず祖父母に育てられ、小学校に入るまで保育園2か所、幼稚園1ヶ所に通い、遠足は叔母が付き添ってくれたのを覚えています。

大人になってから「どうして俺は祖父母に育てられたの?」と母親に聞いた事があります。

生まれて数カ月の時、稼業を継いでた父親が「親が後継ぎの孫の顔を見たいって言うから連れていくよ」と連れて行ったきり返してくれなかったと言いました。

『えっ、返してくれなかった? 返してくださいって行ってねぇの?何もしないで5才までそのままってあり得る?』

小学5年の時、偶然テレビの幕の下にあった戸籍謄本を見て姉が母親の連れ子である事、入籍前に僕が生まれたら養子になるから出産の1か月ほど前に入籍してる事を知りました。

本人に伝えたところで何ひとつ良い事はないので姉が結婚する直前、本当の父親で無いと知った姉自身から報告を受けるまで黙っていました。

もし妹が、その事実を知ったとすれば大人になってからなので3人兄妹は普通に仲良く育ちましたが、母親とは何処か反りが合わないと言うか、世間で言う母親観とは少し違います。

母親と祖母は不仲で、母親から祖母の悪口を何度となく聞かされ続けましたけど、今思えば幼少期は乳の出ない祖母の乳を触りながら眠りについてたのですから、悪口を聞く度に心の中で反発してました。

その態度は顔に出てたでしょうから、母親からすれば可愛く無かったかもしれませんし『三つ子の魂百まで』とは良く言ったもので、実の親子でありながら精神的に何処か一線を隔した関係でした。

15才で稼業倒産後は祖父母と一緒に生活、母親達は距離の離れた場所で別居で、高校生から殆ど逢った事はなく、学費も含め小遣いなど貰った記憶もありません。

一度、母親達の住む借家に行った時「必要なら取りに来れば良いのに」と言われたけど、僕に逢いに来る事も、祖父母にお礼を言に来る事もなかったので無償に腹が立ったのを覚えてますから、それから行かなくなったのかもしれません。

祖父は息子に稼業を譲って以降、生鮮市場の役員で現場仕事は長年して無かったはず、それが70才を超えてから真冬でもスクーターで街中の鮮魚店に通いながら祖母と僕を養ってくれてた。

いくらボンクラな僕でも我が侭は言えず、学校に内緒で給料の良いキャバレーでバイトさせて貰い稼いでました。

これが普通の生活か、恵まれた生活か、波乱万丈の人生か分かりませんけど、今になってみると人生に於ける幸せとは特別な事でなく『普通』に暮らす事では?と思う自分がいます。

普通に暮らすとは

雨風が凌げる家や部屋があり、生活できる程度の収入が得られる仕事があり、それを可能にする心身の健康があり、必要最低限の良き人間関係がある生活をしている人達は『幸せ』ではないでしょうか。

豪華クルーズ世界旅行に行けず、国内旅行や近場の温泉旅行にも行けず、豪華な外食も出来ずいつも質素な食事だとしても、心穏やかに笑顔で暮らせるのは幸せなんだと思う。

朝起きて「おはよう」と笑顔で挨拶できる家族がいて、出勤すれば笑顔で「おはようございます」と言い合える職場の人達がいて、1日労働をして帰れば枕を高くして寝られる場所があれば幸せなんだとも思う。

今の幸せに気付く事かな

全てが完全なんて事はない、僕自身も持病で「糖尿病」「脂肪肝」そして胃癌摘出など、健康不安や子供達への不安もあるけど、普通に動ける心身の健康があれば良いじゃん。

家庭内も職場も平和な時間が20年続いているのだから上出来です。

葬儀支援4千件の中で「若くして病気で人生の幕をおろした人」「自らの命を絶った人」「交通事故での終幕」「長患いをしてた人」など沢山見てきた。

例え病があったとしても普通に生活できる健康があり、普通に考えられる頭脳があることが、いかに幸せかを教えられました。

ついでに言うと自分が幸せだから他人様の支援が出来る訳で、言い換えれば他人様の支援ができるほど今が幸せだってことなんだと思う。


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