「自由」と「傍若無人」

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傍若無人ぼうじゃくぶじん

「傍若無人」とは、周囲に誰もいないかのように、他人の目を気にせず勝手気ままに振る舞うこと、人前をはばからずやりたい放題に振る舞うことです。 

皇帝の刺客として雇われた荊軻けいかは酒席では人が変わり、 まるで周囲に人がいないかのように大声で騒いだり、音楽に合わせて踊ったりしたのが「傍若無人(そばに人がいないかのようだ)」の語源です。

自由の裏に責任が伴う

周囲から稼業を継いで当然の如く言われ、5才の頃はすでに祖父母からは帝王学・商道を潜在意識に叩き込まれて育ち中学生になった頃、同様の道を歩いた父親から真面目な顔で言われた言葉がある。

「稼業を継げとは言わない、お前の好きな道を選んで良いんだよ。ただ自由の裏に責任が伴う事だけは覚えておきなさい」

正直なところ意味は分かりませんでしたけど、中学3年で稼業が倒産する前夜、父親が家族を残して単身蒸発した事を知り、この言葉を思い出し『説得力ねぇな、、』と思ったのを思い出します。

と同時に父親からの言葉の意味も反面教師の実践例として何となく理解できました。

日本人の民度の高さと教育

前橋市はそれほど感じませんが、東隣りの伊勢崎市・更に東の太田市役所に行くと他国の言語が飛び交い、掲示板には何か国語も記載されており外国人が増えたのを実感します。

従兄が伊勢崎の公営住宅に住んでますが、ベトナムの人が多いようで夜中に窓を開けて騒いだり、管理に非協力的だったりと外国人との関係は難しいと言ってました。

道にゴミを捨てない、歩きタバコはしない、乗り物は降りる人が先、列に割り込まない、クラクョンは最低限で使用、電車内で携帯を使わないなど日本は当たり前です。

でも昔からそうだった訳でなく僕の幼少期の日本は違ったから、60年以上掛けて繰り返し教育して形成された民度だと思う。

諸外国の人達も日本の当たり前に驚く人が多いし、近隣の国は反日教育で育っているせいで日本人には理解できない競争心?があるようです。

こう言うと「日本は侵略した側で我々は侵略された側」という人達もいるだろうが、なら日本はアメリカ批判をするかと言えば、反米教育はも含め「反〇」教育は受けてないので何処の国に対してもその感情はない。

教育の大切さと同時に『嘘も言い続ければ本当になる』怖さを感じる。

父親の言葉に限らず自由には責任が伴う事は、近所の大人でも悪いことをすれば叱られたり、様々な機会や折に触れ教えられてきたのだろうと思うと、両親・近所の大人・教員等々に感謝です。

自由を履き違える人達

「日本は自由でしょ!?」と他人の迷惑をかえりみない外人、衆議院選で街頭演説する人達を妨害するのは自由とは言わないと思うけど、北海道の裁判で敗訴した警察は妨害者の排除すらしない体たらく、司法の判断も間違っていると思う事も多いので、選挙時の裁判官の判定もしっかりしたいものです。

まずは親が教育だろ

義弟が小学校校長だった事もあり、教育は学校ですべきと主張する親もいるらしいが、子供の教育の基本は「親を中心とした家族だろ」他人任せでまともな教育など出来るはずがない。

その意味で言うと父親の『自由の裏に責任が伴う』祖父母の教えのひとつ『自分より弱い人間に優しくあれ』とか『商人に大事なのは「お金」でなく信用と思いやり』と幼少期から叩き込まれたのはラッキーです。

利益より慈悲の心を持ての教えが、あんしんサポートの実態になっているのでしょうから、説得力の無い父親でしたが、祖父母の教えも含め良い環境の中で育てて貰えた事に改めて感謝です。

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