経験者だから言えるんです
僕が43才の時、姉はスキルス性胃癌で47才直前の人生に幕を閉じました。
突然、妹からの電話「お姉ちゃんに胃癌が発見されて余命2カ月の宣告を受けたんだけど、お母さんと相談して本人にも子供達にも伝えない事にしたから兄貴もそのつもりで、お願いね」
「あ、そうなんだ分かった」
この咄嗟の判断は30年近く過ぎた今も僕の中の後悔として残り続けています。
詳細は『一銭も要らないお葬式』の中にも書いてあるので読んでみてください。
1回目の見舞い、本人は知らず2か月で退院できると言われたと元気でした。
1か月後2回目の見舞い、ちっとも良く成らないとイライラしてる印象で痩せ始めてました。
更に1か月後3回目の見舞い、「私、もう長くないよ」と察知したようで最後のお願いとして「死後の自分の顔は誰にも見せないで欲しいと約束させられました」
約束は守りましたが『何で余命を伝えなかったんだろう』と後悔の念が湧きます。
3か月の命でしたが、もし最初の段階で伝えてたら、1日2日は泣きじゃくったとしても少なくとも1か月~2か月は病院のベッドでなく自宅に帰り子供達と旅行、食事、家族団らんを過ごせたはずです。
それを奪ったのは母親と妹の決断だったとは言え、僕自身も納得したのですから同じ、人生最後の1か月を奪ってしまった愚かな自分が許せず、今でも思い出せば後悔の念が湧いてきます。
結論 : 今すぐ行動に移せ
事前相談をしていると親が長くないと入会相談に来られる人も多けど、今なら出来る事があると思うのですが、家族は入院してたり、施設に入っていると、もう自分達には何も出来ないと思い込んでおられるようです。
余命宣告受けた後なら、担当医に言えば外出許可もしてくれるし、食べたい物を食べさせたり、逢いたい人に逢わせるのも否定されないはずです。
もし、あなたが迷っているとしたら、今日より明日は病気が進み人生に幕を引く日に近づいているのですから、躊躇うことなく今すぐ行動に移すことです。
途中で死んだっていい
好きな場所に連れて行った途中で人生の幕を引いたとしても、故人の希望を叶えようとした事実は変わりませんから、その行動に後悔はないはずです。
中には24時間体制のような看病をされてる方もおられるでしょうけど、その時が来れば分かりますが「後悔」はなく「出来ることはやった」充実感のようなものを感じることでしょう。
お金では解決できない
後悔しない看取りの共通点があります。
自分の時間と身体を使って初めて得られるものなので「お金」を出して他人に任せても得られない充実感です。
毎日の事だから喧嘩をする事だってあるし、一緒に笑う事もあり、1日中口をきかない日だってあるでしょうけど、お互いに素の自分でいられる事が大事なんです。
何をして良いか分からない人は
自宅にある家族写真を全部持って行き、1枚1枚の写真の想い出を語り合ってください。
対象者だけでなくあなた自身も遠い昔の良き思い出が湧いたり、両親や配偶者への感謝が湧くかもしれません。
だから死んでから騒いでも意味はないと言うんです
今の葬式は死後になって高額な費用を掛けて騒ぎ、供養だと思い込んでいる人が多いけど、死後の世界があると断言できますか? 死んだ経験のある人があなたのちかくにいますか?
葬儀屋は死後を知ってると思いますか? 僧侶の言う死後の世界が本当だと思いますか? そんな不確実なものに高額な費用を掛ける価値があるのでしょうか?
仏教徒に限らず、神徒、キリスト教徒など厚い信仰のある方は自分が信じる事をすれば良いのですが、信仰心が無ければどんな宗教談話も全て戯言なのですから、自分の中で信じられる部分の行動をすべきです。
僕自身は無信仰者だから僧侶、神主、神父、牧師いずれも関係ありませんけど、存命中の対象者との関係は真実であり事実ですから、生きてる時しか出来ない事をしておくべきなんです。

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