脅しを使う宗教者は信用できない

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自覚すら無いんだろう

結論 : 宗教以前に「人」として問題

事例「1」
あんしんサポートの会員さんが飛んできて「どうすれば良いでしょうか?」と言われるので、詳しい事情を伺うと2人娘が嫁いだことで墓守不在が確定、そこで自分達夫婦が元気なうちに墓閉じをしておきたいと菩提寺に行き事情を話すと住職は奥の部屋に行き1枚の紙を持って来られたそうです。

「閉眼供養」を行う際は「洗米」「塩」「酒」を用意するよう書かれていたので、墓石撤去してくれる石屋さんを探したら、再度伺いますと伝えて自宅に戻り、住職に渡された用紙を改めて確認すると寺では気付かなかった文字を見て驚いようです。

『自分が眠る家を壊されて喜ぶ人はおりません。墓終いは墓に眠る全ての先祖に祟られること努々ゆめゆめ疑うことなかれ』

と用紙のはしに書かれているのを発見して慌てて来られたようでした。

いつもなら石屋さんに全てお任せですが、これを見た瞬間「僕が直接担当するから、こんな馬鹿寺とは即刻縁を切ったほうが良い」と墓閉じの陣頭指揮をとりました。

住職の本音は墓閉じの阻止

檀家が減れば寺の収入も減るから墓を閉じさせたくない心境は理解できますけど「脅し」を使って止めさせようとする時点で「人」として失格です。

能力の無いセールスと同等であると自分で証明したようなものです。

例えば、子供の教育に関するセールスでしては成らないのが「恐怖のニードストーリー販売」簡単に言うと、世間の親が教育してくれた子供は出世街道を歩けるが、教育を受けさせず成長した貴女の子供は出世街道から外れるしかなく、それで良いんですか? って感じです。

一方能力のあるセールスは、他人との比較でなく子供が進みたい道を閉ざさないよう道筋を開けておいてあげられるのは親しかできません――、といった肯定論で話しを進めますから「後々騙された」と言われる事はありません。

この住職は前者のような思考回路なのでしょうけど、他人様に偉そうにものが言える人間とは思えません。

お気持ちって30万円なのか!?

「事例2」
15年ほど前でしょうか、突然同級生の親友から電話で友人の叔父さんが逝去、どうして良いか分からず菩提寺に相談すると布施は「お気持ちで良い」からと言われたようですが、お金が無いからどうすれば良いか助けを求めたらしい。

公営住宅の一室で湯かんをしてる最中だったので、言ってる事が理解できないから2時間後に行くまでに「①②③これ」をしておくようにと伝えておきました。

① 寺が行うのは読経と戒名で葬式は別途葬儀屋に依頼?
② 金が無いなら葬式をする必要はないから「火葬」だけで良い
③ 菩提寺に話して「布施は気持ち」と言われたなら3万円持って行き確認

2時間後、自宅に到着すると故人を布団に寝かせドライアイスで処置、移動途中で火葬予約は済ませてあり、指示した事を確認すると「葬式は葬儀屋に依頼」「寺は読経・戒名」「3万円渡そうとしたら供養の心が足らないと言われ、最終的には30万円と言われたようです」

なら菩提寺に行かなくて良いと予約日時に火葬場に行くと親族きて「住職が来てるんですけど、、」と狼狽うろたえていたので、後は僕がやるから斎場職員に言われる通りにすれば良いと伝えました。

火葬炉の前に行くと頼みもしないのに住職が読経して、野位牌には信士戒名が書いてあります。
5分ほどの読経が済むと「本日はありがとうございました。住職のご厚意で読経を唱えて頂けました」と伝えた。

家族親族が無料の待合所に行くと住職が近づいてきて「葬式が終ってすぐにうちに来い」と上から目線で言うので、俺は金が無いから何とかして欲しいと家族には頼まれたけど、あんたに頼まれた訳じゃないし、俺が出向く必要は無い、用事があるなら自分で来い」と伝えて家族の所へ向かいました。

故人の甥っ子だと言う同級生に「来ちゃったものは仕方ないから3万円包んで渡して来い」と伝えて完了、その後何も言ってきませんでしたから、そのまま寺との縁も切れたようです。

供養の心が足らない

寺に都合の良い言葉であり脅し文句です。

事例1・事例2の共通点に気付きますか? 「1」は家族の先祖のせい「2」は故人となった叔父さんのせい、自分の欲では無いとでも伝えたいのでしょうけど、事業に失敗する経営者と一緒で全ての責任は自分でなく自分以外にあると言ってるような人間が他人様に偉そうに言ってはいけません。

読経と戒名が無いと浮かばれません

霊感商法の典型と言える「この20万円の壺を持っていれば災いにあいません」「読経・戒名で30万円の布施」これの何処が違うか僕が納得する説明が出来る人はいるでしょうか? 絶対にいませんが結論です。

1.住職、あんた死んだ経験があって言ってるのか? その現場を見たのか?
2.キリスト教23億人・イスラム教18億人・無信仰者12億人・ヒンドゥー教11億人(総計64億人)なら聞くが64億人は読経も戒名も無いから全員浮かばれないって信者5億人の仏教は言うの ?

こんな現象を日本のことわざでは「へそが茶を沸かす」と言います。
仏教の教えをどうこう言ってるのではありませんし、個人的には素晴らしい、納得と思う仏教の教えは沢山ありますけど、開祖である釈迦を筆頭に各宗派の宗祖で、脅すような教えを説いた人はいるのでしょうか?

オウムのような超胡散臭い信仰は別として、恐らくいないはずです。

というか、信仰の基本は生きる指針ですから信者にならない人をおとしめるような発想にすら成らないでしょう。

凡人の僕でさえそうなのだから、、、

いつも言ってるように高額な葬式を否定する気はなく、高いか安いかは利用者が決める事だから戒名・読経の布施が200万円でも納得する人がいるかもしれません。

ただ問題なのは「布施はお気持ちで」と言うのは住職で家族は言いません。にも関わらず3万円を持って行くと「供養の心が足らない」は後付けであり、「お気持ちで」は建前論であり戯言ざれごとなんです。

高い葬儀社は「うちは高いですけど、それは〇〇〇だからです」と同様の価値観を持つ人達にとって金額以上の付加価値を実践すれば良いんです。

ところが「葬式代が高過ぎる」「騙された」と言われてる実態がアウト!、「布施が高過ぎる」もアウト!、理由は明白で利用者の大半が高いと言ったら高いんです。こんな単純な感覚は葬儀社の社長や住職が利用者側の時は自分達も全く同じでしょ?

だから「脅し」を使う人間はどんな職業の人でも信頼に足らない人物であると断言できるんです。

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