天職に出逢えた人は幸せ
「適職」と「天職」は同義語のような印象の言葉だろうと僕自身も52才、正確には60才で天職の確信を持つまで似て非なるものとは思っていませんでした。
適職経験をしてる人はそこそこいると思いますが、天職を実感した人はそれほど多くないだろうと思うので、僕自身が経験してきた「適職」と、たった1度の「天職」の違いを経験則から書きたいと思います。
適職と不適職
まず「流れ作業」「事務職」「体力仕事」「土や木や機械類を触る仕事」そして大企業勤務経験も無い、更に「公務員」経験も無い人間である事をご理解ください。
また祖父母からの教えの中で出来ない教えが2つあって『実るほど頭を垂れる稲穂かな』『俺が俺がの我を捨てて、お陰お陰の下で生きろ』、苦手な事を克服するより得意な点を伸ばすべしと考える人間です。
職歴の中で好結果が出せるのを「適職」とするなら「企画営業」「バイヤー」かな、企画は結果を出してきたので得意な分野の認識があり、営業は全力投球すれば平均の2倍くらいの結果は出せるけど、実働も2倍なので売上2倍は当然かもしれません。
子供が寝た午前0時以降に帰宅、子供が起きる前に出勤が普通、ある朝起きてきた息子は玄関で「パパ今度いつ来るの?」の言葉に笑って「今晩だよ」と出勤したけど車中で「笑い事じゃねぇな」と思った事があり、子供達の世話を全て嫁さんに押し付けての結果は自慢には成りません。
「バイヤー」とは仕入担当者、生鮮食品担当なので市場の中を走り回って特売品を探したり、より良い物をより安く売れるよう飛び回る仕事は好き、ただ毎朝4時起床は夜型人間の僕には合わない。
睡眠不足で寝坊したり、生鮮は相場で価格変動するのでストレスは半端ない、ある時突然の激痛が腹部に走り激やせで検査したら胃潰瘍が4つ見つかった。良性だったので1カ月間、毎日血管注射と筋肉注射を続けたから、そのストレスに対応できる心身ではないらしい。
サラリーマンの中には当時の僕と似たような人生を生きてる人は沢山おられると思うし、そんなの仕事だから当然と思う人もおられるだろうし、僕も52才まで同様に思ってました。
ところが『天職』は本当にあると分ってから、どうしたら多くの人が天職と出逢えるのか色々と考えてみましたが、残念ながら答えが見つかりません。
全ての流れが偶然であり、その偶然が上手く絡み合った結果、その転機は小さな判断でしか無かった事、1つだけ言えるとしたら『流れには乗ってみろ』です。
ターニングポイント
僕のブログを読んでる方々なら、八王子裁判所から届いた父親逝去の一報が人生の分岐点なのは理解されているでしょうけど、それは分岐点のきっかけに過ぎません。
何故なら、その一報は僕と妹が同時に受けてますが、妹は人生の1行として通り過ぎて後の人生は何ひとつとして変わってないけど、僕の人生は大きく動いて今に至ってるからです。
妹と僕の行動の違いを確認すると、父親の最後を看取ってくれた女性の電話番号を知った妹はそのまま放置しましたが、妹に教えられた電話番号に連絡して後日転居先の神奈川県鎌倉市に行って直接話しを聞かせて貰った。これが相違点であり人生の最大岐路だったのです。
裁判所に行った翌日の電話で「どうした何かあったか?」「ううん、特別な事は無かったよ。でもさぁ結構良い生活してたみたいだよ」と聞かされたとき「そうか、何も無かったのならそれで良いよ」で終わっていたら、あんしんサポート葬儀支援センター開設は絶対にありません。
文章でも口頭でも説明が難しいけど『流れには乗ってみろ』と書いたのは「乗る」とは自分の意思であって、勝手に乗せられる訳ではないって事です。妹は乗らない決定をし、僕は乗る決定をしたって事かな。
よくアンテナを張っておけと表現されるアンテナとは、この手のことを言ってるのかもしれません。
ただ全てが良い結果になる訳でなく、日航機御巣鷹山墜落のように乗る判断をして命を落とし、乗らない判断で命拾いしたケースもあるのでも乗れば良い訳ではありません。だから偶然なんです。
天職はすぐには分からない
葬儀屋は胡散臭いイメージしかなく絶体したくない商売だけど、千明がどんな人間か分かりませんから、葬儀社営業8年間続けてる人の前で葬儀屋の悪口を言うのも限界があります。
そこで例え葬式施行をするとしても、周囲には葬儀屋だと思われない方法を模索した結果、NPO葬儀支援センターの設立になっただけです。
葬儀社紹介業は自信を持って紹介できる葬儀社はなく断念、自分で施行しても少し安い葬儀屋と思われる程度では駄目だから国保からの葬祭費5万円だけで骨壺に納まれるプランの発想をした訳です。
当初は生活弱者の事など考えておらず、とにかく葬儀屋と思われない為にはどうすれば良いかだけでした。
迷わない・勝手に進む・周囲から支援
あんしんサポート設立が決まると、設立前に葬式依頼が入り最悪な葬儀社の実態を見せられたり、葬式代と寺の布施は想像以上に高額だと教えられたり、葬式代を心配しながら生きてる人達に逢ったりした。
葬儀支援センターで何をすべきかは、NPO法人設立手続きに入ってから3年間の中で葬儀屋の実態と、生活弱者の実態双方を教えられながら、何をすべきかを考えたきたに過ぎません。
葬儀屋と思われたくないから、葬儀屋とは真逆の発言を続けるので生活弱者を支援する人達からは称賛され、各地で講演会を依頼されたので、あんしんサポートのイメージは代表の僕自身の本音より世間のほうが強くなってたと思う。
だから進む道に迷いはなく、周囲から押されて勝手に進むし、応援団も生まれたり、NPO全国大会のような場でも公演したり、千葉県の市会議員が都内で講演会を組んでくれたりと弱者支援の活動に関しては勝手に流れた。
また墓閉じが増えるのは必然でしたから法律に縛られない散骨が増えるのも必然、しかし海の散骨は風評が漁民生活を脅かす可能性が高く、山林自然散骨を考えていたら、設立翌年には父親逝去で山林を相続した方から無償貸与されるなど出来過ぎの偶然が何度もあります。
周囲が味方してくれる
葬儀屋からの逃げ口上から始まった「嘘」は気付けば本心になり、経験を積めば積むほど葬儀屋と寺への不信感は募り、本物の葬儀支援を追求する本心は強くなり、世間に公言した手前もあって引き下がれないまま10年が過ぎた頃には周囲から『信用』というお金では買えない価値が得られてました。
家族葬(読経・居士大姉戒名授与・祭壇供物付き)税込17万円というあり得ない料金設定が出来たのも、全ての始まりは父親を看取ってくれた方に逢いに行った事から始まったた偶然と幸運の賜物です。
「嫌」にならない
そう考えるとと天職との出逢いは『偶然』と『偶然』の適度な絡みと『運』だと思うから、天職と出逢えた人は幸運、強運の持ち主なのでしょう。
ならいつも良い状況だったかと言えば「NO」365日無休・2名だけで24時間対応・儲からないから低報酬と多くの人達が仕事に求める真逆の連発、我々は法人役員だから問題ありませんけど、一般社員がいたら一発でアウト!の超ブラック企業であり事業があんしんサポートです。
勿論、体調が悪い時もあるし、僕は胃癌摘出も経験、千明もコロナ感染で一週間起き上れない事もあったし、真冬の夜中に起こされ病院へのお迎え、時には都内まで夜中に走ることもありますから、辛い、大変、しんどい等々ありますけど、18年間1度も「嫌」だと思った事がないのが不思議です。
これが全てではないはず、個々それぞれで色々な天職との出逢いがあるのでしょう。
これが僕の知る僕が出逢った『天職』です。

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