気持ちは分かるけど、、
「まだ生きてるのに・・・」この言葉を口にする人は2種類いて『周囲に対する建前や優しいと思われたい人』と『大切な人の死を受け入れたくない人』後者の気持ちは分かるけど、それじゃ駄目なんです。
結論 : でもそれじゃ駄目なんです
大前提として葬儀社の本質は良い人ではありません。
言葉はどうでも、やってる事は家族を喰いものにしてるとしか思えない現実だからです。
そうでなかったら、葬式トラブル動画や記事がSNSに掲載されたり、オールドメディアで放送されません。
「まだ生きてるのに葬式の相談なんて・・・」
家族からすれば当然の想いですが、それを逆手にとって冷静な判断ができない死後直後、一気に畳み込むように葬式の打ち合わせをすれば客単価を上げられると考えてるのが葬儀社です。
「最後ですからね」「供養になります」「皆さんそうされます」等々の言葉が最も受け入れ易いのが死後直後であると分っているからです。
中には事前説明もせず当然の如く追加する葬儀社もあるはず、請求書を見て疑問を言ったとしても「安置直後の打ち合わせをした時に言ったじゃないですか?」と言われたら『そうなんだぁ』と思うしかありません。
葬式の何が分からないかさえ分からない
これが大半の家族の本音でしょ? 本当に葬式の事が詳しいとか、仮に100万円追加されても良い人なら構いませんが、「いやいや、それは駄目でしょ」と思うなら冷静な判断が出来たり、理解できない事を調べられる時間の余裕がある段階で「もしも」の相談をしておく事です。
理解できない事を葬儀社で確認しても「供養」なる言葉を前提とした話しをされるだけ、とにかく下線部が大事ですから相談後に調べても構いませんけど、できれば事前に自分なりの「葬式」を出来るだけ鮮明にしておく事です
これだけは忘れるな
最愛の家族の終幕できる限りの事をしてあげたい。
気持ちは分かるけど『故人がそれを望んでますか?』自分の葬式より残す家族の生活を心配してませんか?
「YES」なら、葬式後も笑顔で暮らせる事を大前提とした葬式をする事が故人の望みです。
僕はこう想う
- 金を使うなら死後でなく生きてる時に使って欲しい
- 人の死は自然の摂理、この年まで生きた事が奇跡
- 死後に騒いで何の意味がある
- 葬式は家族と故人と親交の深かった人だけがベスト
- 僕自身は「火葬」と「散骨」が希望
- 残る家族が笑顔で生活してくれたら何より
- 宗教者が生き返らせてくれる訳じゃない
- 宗教者の言う死後は架空の物語でしかない
- あえて言うなら時々で良いから思い出してくれ

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