人生の後半は50代で決まる

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終わり良ければ全て良し

病院から搬送して納棺が完了する頃、後から病院を出た家族到着、納棺された故人の末期の水を取り、線香を供えると時々聞く言葉があります。

「良かったぁ、病院で見た顔は苦しそうで看護師さんも口を閉じてくれようとしてたけど閉じなかったのに、今は口を閉じて穏やかな顔になったのでホッとしてます。ありがとうございました」

目を閉じて、しっかり口を閉じて、髪を整えてあげれば誰でも穏やかな顔になり、終幕の直前は苦しそうな印象でも死顔が穏やかなら家族の心も穏やかになります。

これは人生も同様であると気付いた時は60才を超えてました。

35才で起業したけど

僕自身は35才で起業したので35才以降のサラリーマン生活は知りませんけど、4才年上の同僚役員だった人の兄が亡くなり当方が施行した事から、退職後の話しを聞くと同僚の同級生だった社長が逝去、息子の代に変わってからは、淡々と30年間を過ごして定年退社しそうな印象でした。

社長が亡くなった時、同級生の彼は60半ばですから残りの仕事人生を穏便に過ごしたいと思って当然、一緒に会社を変えて行こうとしてた僕の退社は、退社に1年掛けたとはいえ、その後を共に歩こうとする人が見つからなくても不思議ではありませんから、気力を無くしたかもしれません。

同僚には申し訳ないと思いますが、若い人達が将来を賭けられる会社を目指した提案を決断できなかった社長が納得出来なかった事もあっての退社、この点は同僚役員の彼も含め誰にも言いませんでしたが、予想通り30年が過ぎても会社の体質は変わりませんでした。

代は変わっても事業は続けてますから、亡くなった社長の判断は正しかったのかもしれませんし、使えるうちは使い、使えなくなったら切り捨てる経営が正解かもしれませんけど、僕の性分には合ってないようです。

52才で始まった葬儀支援に全力投球を決めた時、社員への恩返しは今しかないと、食える保障も無いのに美容業は全て無償で社員に提供して無収入になったのは、20年前、役員として部下達に出来なかった事を自分の社員にしたく無かった事と、根が愚図ですから退路を断つ方法でもありました。

年商720万円から3億円にしても、仕事として楽しいと思った事は一度もありませんでしたから、美容業の経営者は適職では無かったのでしょう。

経営者に成りたい訳でない事、経営とは継続、無借金経営、適職と天職の違い、そして人生を「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」と分類した最後「老年期」をどう生きるべきか教えられた50代でした。

50代が老年期を決める

先の同僚役員の先輩のように定年まで勤め、定年後は悠々自適な年金生活を楽しむ、それなりの年金と預貯金があれば可能な生き方ですから、先輩の老年期がそうであれば良いと思います。

僕の場合は偶然が重なり自分の意思とは関係なく始まった葬儀支援の道が、想定外の『天職』だったのは奇跡のようなもの、波乱万丈の人生と言われてきたので、全てのツキと好運が同時に訪れたのかもしれません。

仕事馬鹿のような人生でしたから、何もする事が無く自由気ままに生きる、、、ようするに暇人生活である悠々自適な生活は苦手、その意味でもラッキーでした。

もし父親逝去の一報が42才だったら美容業から撤退しておらず、62才だったら365日無休、24時間対応の葬儀支援を始める気力は無かったでしょう。

人とし信用が得られ易く体力面でも踏ん張れる52才が全ての始まりだったのも、成功する条件のひとつと言われる「時」が味方をしたようで「好運」としか言いようがありません。

先の事は分かりませんけど、心身の健康さえ失わなければ生き甲斐のある生涯現役の人生を過ごせる可能性もあります。

何才まで生きるかより、どんな人生を生きるか

葬儀支援を続けて1つだけ分かったのは、人の終幕は誰にも分からない事、事故死もあれば、病死もあるし、自然死だってあり、どんなに健康に注意しても健康でいられる保証はありません。

生き方は人それぞれですが、他人に迷惑を掛けたり、他人を傷つけたりせず、家族や周囲の人達と笑って過ごせる人生にすべきと思わせてくれたのは葬儀支援最大のメリットでしょう。

生活弱者中心の葬儀支援は、俗に言う物質的な裕福でなく『人に必要とされる事が生き甲斐に繋がる』精神的な豊かさを教えてくれました。

極々凡人であり、中学では年間130日も遅刻する愚図であり、仕事だけは確かにしたけど家族には寂しい思いをさせ続けた人間でも、自分より弱い人に優しくできる人間にも成れる事を教えてくれたのも、偶然から嫌々始まった葬儀支援です。

その偶然は人生終盤の生き方を教えてくれました。
先の事は分かりませんが『終わり良ければ全て良し』これが今の心境です。

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