70~80%は見栄
僕自身の座右の銘は『人は執着を捨てれば楽に生きられる』とブログでも著書でも書いてますが、何となく分かるけど具体的に解り難いと感じる人もおられるようです。
発端は倒産から10年も経っているのに家業のスーパーが繁栄している時代の話しをする母親を見て、過去の栄光にしがみついても自分が苦しいだけに思えた事でしたが、座右の銘になったのは葬儀支援事業を始めてからです。
ネット検索すると「執着とは特定の物事や人、感情に心が強く囚われ、そこから離れられない状態」と書いてあるので確かに解り難いと思う。
座右の銘で言ってる「執着」は「見栄」と解釈してもほぼ合ってると思うから『人は見栄を捨てれば楽に生きられる』と書いてもさほど意味は変わらないだろう。
母親の言動を心で否定しながらも、周囲から落ちぶれたと思われたくないから、ついつい小さな見栄を張ってた自分もいたと思う。
見栄を張った時期、見栄が消失した時期
グァム島のDFS(免税店)で38,000円のグッチの腕時計を買うのに半日も迷って買ったり、車、洋服、靴、あらゆる物に見栄を張ってた時期もあったけど、見栄を見栄だと認識できるようになったのは収入でした。
時計なんて正確な時間が分かれば何でもよく、今ならスマホを見れば分かるから不用品、車は移動できれば良く出来れば燃費が良くて事故に強いのがベスト、それ以外の希望は基本的にない。
自分の変化に気付いたのは年収600万円になった頃、それまでは「金」を追いかける人生だったけど、物欲が薄くなってる自分に気付いた時でした。
最高年収1,200万円以上は未体験なので理解も説明もできませんが、35才で1,000万円を超えた時、欲しい物が無くなってる自分がいました。
ある程度の物ならいつでも買えるようになると欲しく無くなり、好物は「玉子掛けご飯」育ちが分かるけど「みそ汁掛けご飯」も堂々と言ってる自分がいた。
富裕層になった事はありませんから、本当の金持ちの気持ちは分かりませんけど、安い物を着てたり、持ってたりしても周囲の目は全く気に成らなくなった。
元々物欲は余りなく、自動車に高額な費用を掛けて改装などあり得なく、車は移動手段の消耗品であり1度事故ったら金を掛けても無駄、これは免許取得時点から変わっていません。
見栄が張れない現実
引き落としまで最大40日あるカード払いは根本的に嫌い、お金が無ければ買わなければいい、デビットカードなら即引き落としだから問題ないと考える人間ですが、、、なら現金で良くねぇ?
だから前職時代は財布に最低30万円入ってないと不安だった人間が、千円札も無い状況すらある生活に変貌したけど、見栄を張らない自分に気付いたのは葬儀支援を始めてからでした。
美容業の社長時代は好きでもない人達に合せて相槌ちを打ち、社交辞令とお世辞も当然のような人生だったから美容業の経営者は好きに成れなかったのかもしれません。
嘘が通用しない葬儀支援
生活弱者中心の葬儀支援を始めると、騙したり、戯言を言ったりして利益を得ている人達から弱者を守るには本気で取り組むしかなく、幸か不幸か自分自身が生活弱者だから、自分が思った通りにすれば良いだけ、自分が嫌だと思うことや人達は排除すれば良いだけでした。
低い報酬でも、安い中古車でも、特価品のポロシャツでも堂々としていられるのは『自信』だと思う。
設立当初を思い起こすと周囲から「嘘つき」「変な奴」「変わった奴」寺住職から「傲慢」中には「美容室を家族3人で経営してたが駄目でNPOを設立して助成金で稼いでる」なぁーんて笑える誹謗中傷もあったな。
でも誹謗中傷したのは我々が支援しようと思ってる人達でなく、支援しようと思ってる人達を喰い物にしてる人達だから当時の誹謗中傷はやる気を湧かせる応援歌のようでした。
自信を持って生きる
「お金がある」「地位がある」「収入が多い」そんな事はどうでもいい、悪いことをして無ければ、何をしても、どんな生活でも構わないから今の自分を受け入れる事です。
それと、金が無い時は「金がない」、凡人だと思ったら「俺は凡人」、自信が無くなったら「俺に能力はない」と公言した上で『だからこうする』と肯定的な言動を続ければ「執着・見栄」は消えてるでしょう。

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