従兄との会話
先日も久しぶりに従兄とランチ、続いて焼きまんじゅうを買って従兄の家で夜まで歓談してきましたが、その中で「終わりよければ全てよし」だと思ってると言ってました。
このことわざは、捉え方によって賛否が分かれるだろうと思うけど、私も従兄の意見に賛成なので、その辺りを書いてみたいと思います。
彼の父親は分かり易く言うと愚図、満足に仕事もせず他人から金を借りる事も平気で、返さなくても平然としていられるタイプの人間だったようで、群馬から逃げるように茨城で生活してた幼少期もあったようです。
母親と二人で他人の畑の大根を盗んだ事もあったようで、中学を卒業すると訓練校にいき、千葉県の日立の工場で勤務してたのは私も知ってましたが、その息子にも金をせびるような父親だったそうです。
胃癌で51歳の終幕迎えると母親一人にしておけないと群馬に戻って、今は無き写植の仕事を始めると手先の器用さと真面目さで結構稼げたらしい。
新聞チラシなど1文字、ひと文字打って写真にし、切り貼りして凸版印刷用チラシの完全データを作る仕事、パソコンの普及で今は絶滅した仕事です。
県営住宅に住みながら、苦労続きで老いた母親に毎月15万円の小遣いを渡してたそうで、終幕前の入院では病室に自分の姿が見えないと探したり、意識が無くなる直前にはメモ用紙に自分の名前を書いたりしてた母親だったそうです。
最後の瞬間は母親の顏の真上から見てたそうで「俺はお袋に対しては一切の後悔はない」、「終わりよければ全てよし」だと思ってると言った気持ちが良く分かります。
自分の人生もそう思う
幼少期は祖父母に育てられ、15歳で稼業倒産後は頼れる人もないから、弱音は吐かず自分にできる事をコツコツとしてきたので、その辺りを周囲に話すと波乱万丈の人生と言われたり、苦労してきたんだなとも言われますが、自分で苦労した記憶はない。
簡単に言えば他の人生は知らないから比較できないし、今にして思えば頼れる人が居なかったから芯の強さが備わったし、良くも悪しくもその結果として今の自分がいる訳ですから、私の人生に於いては必要悪、端的に言えばワクチンみたいなものでしょうか。
多くの人達が余生を考え始める52歳から今の葬儀支援の道を切り拓き、長いものには巻かれろでなく、イライラ、ムカムカしながらの支援などできないと日本で唯一菩提寺の葬式は受けないと公表し、葬儀屋は詐欺商法と公言もした。
寺や葬儀屋からすれば嫌な存在だけど『違うものは違う!』『納得できないものは納得できない』と堂々と公言する事で、精神的なストレスは無くなり、自身の戒めにもなるので身体的な苦痛はあっても精神的には充実感だけです。
71歳にして他人から頼られる仕事があり、暇でやる事がない日々でもなく、普通に食えて、笑いのある家庭と職場があるから、他人の支援が出来る精神的余裕がある今、人生は終わってないけど終盤は充実した人生を過ごせてる。
幕は引いてないけど『終わりよければ全てよし』を実感しています。

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