皆さん考えて欲しい

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洗脳から常識論

葬儀業界で生きた経験の無かった19年前、業界の常識や慣習より先に知ったのは37年前に稼業倒産時に蒸発した父親の最後を看取ってくれた女性の話は、新鮮であり改めて葬式について考え見ると目からウロコでした。

葬式経験は何度もありましたが、規模の違いはあっても基本的な内容や流れは同じ、ところが女性から聞かされた父親の葬式の話しで、常識と思ってた事は全て洗脳からの概念でしかなく常識と思ってた事よりもっと大事な点がある事でした。

考えた事すら無かった

葬式とは逝去してから葬儀屋に連絡、菩提寺があれば寺に連絡、坊さんの都合で葬式の日程は決まり、大小問わず祭壇の前に棺が置かれ、その手前で僧侶が読経を唱えるもの、火葬中は「お清め」と言われる飲食をし49日に墓に納骨する。

我々は叔父叔母から言われた香典と供物代を払い、僧侶と葬儀屋に言われた通りの言動をするのが葬式であると当然のように思ってきたので、疑問すら湧いた事も無かったけど、その女性の話しは葬式とは死後に始まる大前提さえくつがえすものでした。

想像とは全く異なる葬式の話しと流れ、初めて聞かされる事ばかりだけど違和感はなく、温かさを感じる事ばかり、後でじっくり振り返ると既存の常識とは掛け離れた現実にも関わらず『そうだよなぁ』と思う自分しかいませんでした。

葬式について人生で初めて考えてみた

多分大半の皆さんは私と同様に葬式についてじっくり考えた事すら無いと思うし、日常生活の中で葬式の話題など出ないでしょ!?

なぜ人生で初めて聞かされた常識以外の葬式に納得したり、感動したのか不思議に思い聞いた内容を初めから1つひとつ箇条書きにしてみると、既存の常識とは余りに違うことから、『本当の意味での葬式って何だろう』との思いが湧いたのです。

常識の違和感

葬式は逝去後に始まるのでしょうか? 

『結論』葬式は生きてる時から始めるべきものです。

糖尿病から歩行困難になった頃、女性は父親の終幕が遠くない事を察知されたようで、今の時間を精一杯大切に生きようと思われたそうです。

父親も同様で近くの葬儀屋に行き、自分に「もしも」の事があった際は自宅安置、火葬だけの葬式の費用を全て支払い、その旨を女性に伝えておいたそうです。

両者が永遠の別れを意識したから『より今を大切に生きられた』のでしょう。

女性が車椅子を押して行ったグァム旅行は、その典型のように行動ですが、今できる事は後に回さず今しておく、それを二人は実行してきたそうです。

グァ旅行ができたのは二人の生活が豊かだったからでなく、直葬の選択と費用は全て完了してたから生まれた余裕だったようです。

延命治療の拒否は勿論のこと、焼骨は全てハワイの海に散骨するよう遺言として残したのは父親の彼女に対する思いやり、気付いたのは彼女でなく私でした。

74才父親は60才を迎える彼女が自分に縛られた人生を送る事を良しとせず、できれば頼れる人を見つけ笑顔で過ごせる人生を生きて欲しいと思ったのでしょう。

だから遠い海に全て散骨する事で自分の遺骨に縛られる事は無い方法をとらせたのであろう事は、息子だから解ったのかもしれません。

ハワイの海に全散骨の意味を伝えると、目を真っ赤にしながら納得してた女性の笑顔が正解だったと教えてくれました。

この点だけをみても逝去後では出来ない事ばかり「死」から逃げたい心境は理解も納得もできますが、真正面から受け止めれば最後の時をより有意義に生きられるぞ、と父親が証明し教えてくれてる気がします。

葬式は宗教儀式なのでしょうか?

『結論』当たり前だけど無信仰者には宗教儀式ではありません

葬儀支援を始めて明確になった事の1つが『私は完璧なる無信仰者である』であり、キリスト教徒が仏教儀式に意味を持たないのと一緒で、無信仰者にとって宗教儀式は全く意味を持ちません。

なら無信仰者の葬式は何をすれば良いの!?

日本は99.9%火葬なので『火葬だけの葬式』が普通、何かしたいなら火葬前に『お別れタイム』を設定するのもありです(パンフレット右下に記載)

①火葬前日の午後数時間を設定(3~4時間)
②お別れしたい方は設定時間内で都合の良い時間に普段着で来館
③飲物・茶菓子は家族自身で準備(安く済む)
④顔を見てからもゆっくり家族達と話す時間がとれます
⑤時間に余裕があるので故人との写真もゆっくり取れます
⑥家族によっては髪・髭・化粧・爪切りなどもできます
⑦午後の時間を使えば食事の用意は要りません
⑧翌日午前の火葬は家族だけで行い昼前に終了なので食事は不要

厚い信仰のある方は信仰に沿った葬式をすれば良のと同様、無信仰者は無信仰の葬式をするのは当たり前の事なのに今まで気づきませんでした。

この正論は費用面でも大きく左右します。

葬式になぜ高額な費用が掛かる?

『結論』無信仰者に高額な費用が掛かるはずがない

葬儀社への費用・宗教者への謝礼が葬式費用の大半ですから、無信仰者は宗教者謝礼は「0円」になり、宗教儀式をしませんから葬儀社費用も各段に抑えられます。

馬鹿高くて冷めた料理も要らず、祭壇の生花・供物類も要らずなので葬儀社は嫌がるだろうけど直葬料金+お別れ室数時間だけで無信仰者の葬式が完璧なんです。

私自身が無信仰者だから尚更だけど、無駄な出費ばかりの葬式を当然のように洗脳されてきたのが日本の葬式実態としか思えません。

但し「直葬料金」75,000円~400,000円と30万円以上の格差がありますので、父親同様に事前に正確に金額を明示して貰うか、支払っておくのもありです。

葬式費用の心配が要らないって精神的に大きくないですか? だからこそ逝去後でなく生前に準備しておく事が大事なんです。

死の話しはし難いのも理解できますけど、人の死は誰もが認める自然の摂理ですから、元気な時に話しを開始しておきましょう。

遺骨の処理は寺もできません

『結論』焼骨は粉骨にして少量を手元供養がベスト

過去の住職の言動から檀家離れが進み、少子化で墓閉じが急増する今、廃寺が増えるのは当然の時代にも関わらず、墓の遺骨は処理できないのが日本の実態です。

遺骨が土に還るには気の遠くなるような年月が必要だし、それまで供養し続けるのは時代の流れから無理です。

魂の有無は正確に分かりませんけど、遺骨(焼骨)を墓で保管する時代は明らかに終焉を迎えており、遺骨に対する処理方法を新たに検討する時代です。

個人的な意見を言うと、遺骨は墓でなく、粉骨にして自宅の庭、両親の墓、好きだった場所などに少量を撒き、残りの粉骨は手元で供養、最終的には最後の人が自分と一緒に散骨するのがベストに思えます。

慣習が正しい訳じゃない

葬式に限らず、全国には様々な地域の慣習がありますけど、良い慣習もあれば、悪習もあるのが実態、悪習の代表が残る家族の生活さえ脅かす葬式です。

残る家族の生活を脅かし、対象者は死後費用の心配をしながら闘病し、高額な費用は葬儀社や宗教者という普通の人間が使う現実を『正しい』とは到底言えんでしょ!?

葬式した家族を筆頭に葬式に対する疑問を持ってる人のほうが多いですから、今の葬式実態に問題があるのは誰もが認めるところです。

そのまま放っておけば、皆さんの子供達や孫達にも不条理な現実が残るのですから、我々の時代で終了させ、日本で生きる誰もが納得する「死」「死後対応」にしておくべきであると思うなら、まずは各自の本音を考えてみましょう。

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