代表執行役員 武井 利之
簡単な職歴
・スーパー業界を経て30代から美容室の経営指導と営業を兼ねる ・35才起業、ホテル婚礼美粧、美容室等手掛ける ・37年前に家業倒産で蒸発してた父親逝去の一報が入る ・父親の最後を看取ってくれた方との話しから葬式に関心が湧く ・葬儀屋嫌いから葬儀支援センターの設立に向かう
支援事業17年目(2千数百施行)した本音
『葬儀支援センター』は2008年、設立時に日本で初めて僕自分が使用した言葉、当時は寺や葬儀屋からの誹謗中傷もありましたが、そんな事は全く気にならず、設立から達成までの3年間は国保からの葬祭費5万円で骨壺に納まれば助かる人達は沢山いる――、の思いだけで走る日々でした。
葬儀支援に先人はおらず、前例もありませんから「死」を実感できる70才以上の老人達と本音で話してると、葬儀支援センターが何をすべきかに困ることなく常に目標があり続けるなど「先に恵まれた17年」です。
我ながら驚いてるのは初期癌摘出で8日間入院、インフルエンザ高熱で1日以外、寝込んだ事も休んだ事もなく、24時間・365日無休・超低報酬でも嫌に成った事が一度も無く、生き甲斐を感じた17年だった事です。
ひと言で言えば『天職』なのでしょう。葬儀屋勤務経験もなく、人生初めての仕事でありながら自分が進むべき道、成すべき目標が頭の中に湧き続けるって不思議ではありませんか!? だから天職かも――、なんです。
達成したから言える事のひとつ、読経・居士大姉戒名付き、追加不要の17万円家族葬プラン(葬儀屋なら10倍170万円)を思いついたのは、設立からわずか3年後、実現したのはコロナ感染より前の2019年でした。
設立当初の最終目標は「団塊世代終幕期2030年代までに火葬だけの葬式も当たり前の世の中にしておく必要がある」でしたが、コロナ感染の影響で10年前倒しになり、直葬が市民権を得られ最低目標は達成です。
但し「良い人」「人助け」の類ではなく、単なる自己満足の支援事業なのは、嫌な人は受けない、菩提寺の葬式は受けない、お客様扱いもしない等で分かります。本当に良い人なら対象者を選別しないでしょう。
年中無休・24時間対応・超低報酬で無ければ続けられない内容と料金の葬儀支援ですから子供にも勧められず、やりたい人もいませんから自身の糖尿病・脂肪肝と上手く付き合いながら生涯現役で続けるつもりです。
2024年11月で70才だから、体力面からも、そう長くは続かないでしょうが、女性長命家系の千明がいる限り人手さえあれば続けられますから、例え僕が居なくなったとしても、千明が元気なら後15年くらいは続くんじゃないかな。
52才で父親逝去の一報が届いてからの17年間はバタバタしながらも充実、不謹慎な言葉かもしれませんけど、寝不足と疲労感は常にあり、休日も無いけど楽しいんだと思う。だからか1年が「あっ」と言う間に過ぎてます。
執行役員 千明 宮子
簡単な職歴
・リクルート勤務から結婚を機に主婦業に専念する ・全国を転勤した後、群馬に戻り大手葬儀社営業を8年間 ・予想以上に葬式は高額だと知り利用者の本音を聞かされ迷う ・通ってた美容室店長に誘われ社長(現代表)室に行き話しを聞く ・人を騙してる感覚で営業が出来なくなり葬儀社をしてはと代表に問う
支援事業17年目(2千数百施行)した本音
群馬に戻り結婚式の介添えさん募集で入ってみると互助会会員募集営業、上司や先輩に言われるがままに割り当てられた担当地区を1軒、1軒回って歩く日々でしたが、話す事より聞く方が得意な性格だったからか可愛がって貰えてたようです。
それでも、お客様に葬儀後『会員になってたのにこんなにかかると思わなかった・・・』と言われる事が多々あったり、会社に行くと営業成績を問われ、毎月の営業会議では売上金額の高い人が表彰される姿を見て『何かが違う気がする・・・』とモヤモヤした思いが続きそのストレスからか、4~5年目くらいからは食が細くなり半人前もやっと食べる状態でした。
そんな時行きつけの美容室店長から「うちの社長が葬儀の事を聞きたいらしんだけど、千明さん時間ある?」と言われて連れて行かれたのが現在あんしんサポートの事務所となっている社長室でした。
「誰でも死ぬのに何で高額な費用が掛かるのか」「なぜ低料金の葬式設定をしないのか」と言われる事の1つひとつがその通りだと思えることばかり、何度か話しを聞いてると「もしかして私は人を騙している?」という思いが大きくなり罪悪感で営業に行けなくなってる自分に気付きました。
そこでオーナー(代表)に葬儀屋をしませんか?と水を向けましたが、即答で「嫌だ」と言われる始末、その理由を聞かれ正直に話すと責任を感じてくれ、葬儀屋はできないけど良い葬儀屋さんを紹介するNPOを立ち上げようと葬儀屋さんと寺を周って話しを聞く日々を過ごしました。
ところが、葬儀屋、寺、最後は喪主(お金を出す)の立場で葬儀をした人達に話しを聞いたことで葬儀業界の実態を知った代表自身火がつき、現行の葬儀屋から弱者を守るべくNPO葬儀支援センターを設立そこからはあれよあれよという間に、支援センターとしての形が出来上がり、数年間は着いて行くのがやっとの状況が続きました。
今の料金を維持するためには、一番かかる人件費を抑えるために人はいれず、役員2名体制を維持し、この17年間365日無休、体調不良で休んだのは今年の2月にコロナ? で5日間起き上がれ無かった時くらいでしょうか、代表が入院した8日間は、葬儀依頼が4件入ってきて入院2日目の病室で仕事をさせたり、台風に直撃の大雨の中、数件の葬儀が重なり最後の葬家で安置、打合せが済んで家を出たのは深夜、すでに台風は去り綺麗な星空が広がっていたのを思いだします。
休日も無く超低報酬ですが17年間は葬儀社勤務時代とは全く違う思いの自分が存在しており、今まで感じたことの無かった『生き甲斐と遣り甲斐』を感じながら、堂々と胸を張って生きている自分がいます。