死化粧すら出来なかった姉の死

僕には3つ年上の姉がいました。過去形なのは22年前47才直前に胃癌で亡くなったからですが、姉の人生を考えると、人の人生は平等でないと悟りました。輪廻転生があるなら次は『平凡に天寿をまっとうする人生』で生まれて欲しいです。世の中には複雑な家庭事情の人も多く、平凡な人生を歩ける人のほうが少ないだろうと思いますが、姉もその一人だったと思います。

僕が生れた家は魚屋さん、祖父母、父親の存在は5才前から知ってましたが、保育園の遠足などは父の姉である叔母さんが来るものと思っており、母親の存在は知らずに育ちました。生まれた家は店と生活する部屋が2つ、食事をする広い土間がある母屋、裏に離れの家と中庭があり、その奥に井戸、風呂、へっついと呼んでた大きな釜戸が数個、お祝いの折に入れる鯛を焼く場所など火を使うものを集合させた家、その奥に裏庭という少し広い家でした。

5才のある晩、お婆ちゃんと風呂に入っていると、風呂のある家に背中に赤ちゃん、手に女の子を連れた小母さんが来て挨拶すると、翌日からその人達も同じ家で寝泊まりするようになりました。翌日には仲良くなった少し年上の女の子と遊んでいると、廊下を雑巾がけする小母さんを見て、
「お姉ちゃん、あれ誰?」
「馬鹿だねぇ、お前のお母さんだよ」
「お母さん? ふーんそうなんだぁ」
「お父さんは知ってるだろ、あれがお母さん、私がお姉さん、赤ちゃんが妹だよ」
この時、初めて自分の家族を知りました。父親は子供がいる年上の女性と一緒になりたい、祖父母は猛反対、しかし僕が宿ったのを機に、生まれる前に入籍しないと養子となる為、籍だけ入れて出産、姉は養子縁組、5年間両親と別居してから同居のようです。

姉と僕が異父姉弟だと知ったのは、僕が小学5年生の時でした。当時はテレビにカバーのような幕が掛けてあり、何気なくそのカバーを外すと登記簿謄本が置いてありました。読めない文字もありましたが、姉が養子縁組した事、父親の子でないのは分りましたが、母は同じ、というかずっと姉弟で育ってるのですから、どんな事実であろうと何も変わらないと思った記憶があります。その事は姉も含め誰にも言った事はありません。

姉の結婚が決まった時は、すでに我が家は倒産しており、相手は老舗の和菓子屋の後継ぎ『大変だろう』と思いましたが、姉自身が決めることですから黙っていました。結婚が決まって少し経った頃、姉から話しがあると言われ喫茶店で待ち合わせると、
「僕に聞いて欲しいことがあるんだけど――、」
「ん? どんなこと」
「あのね、私はお父さんの子じゃないって戸籍取ったら分かったんだよ。驚くよね」
「あぁ、なんだ、そんな事なら小学生の頃から知ってたよ」
「えーっ、なんで知ってんの、何で言ってくれなかったの」
「んー、姉御が知ったらどうした? 嬉しいか? 何も感じないか?」
「そりゃ驚くし、本当のお父さんを知りたいし逢いたいって思うかも――、」
「だろ? なら逢ってどうすんだ? 今のお父さんは喜ぶか?」
「・・・・」
「な、俺達が姉弟姉妹である事は変わらないし、真実を知る事が必ずいい訳でもない」
「正確に覚えてないけど、多分小学生の俺は、そんな風に考えたんだろうと思う」
「そっか・・・そうだよね、私は結婚して新しい家族と過ごすんだから、今さらだよね」
「うん、そうだな、俺もそう思うぞ、ところで老舗の家に行って大変じゃないのか?」
「確かにね、だから実家には入らず2人で生活することになってる」
「そっか、色々大変だろうけど、大変な時はうちに泊まりに来ればいいよ」

その後、結婚生活は始まりましたが、義兄にも弟が2人いて色々と大変な時もあったようですが、子供も男女2人生まれ、僕も姉より先に結婚して2人の子供がいましたから、たまに泊まりに来たりしますが全てうちの奥さん経由で僕に直接連絡することの無い姉から電話――、

「〇〇君から、もう駄目だと電話がきて、すぐ家に戻ったけど間に合わなかった――、」
「ん? どうした、間に合わないって死んだって事か? 自殺か? 息はあるのか?」
「ううん、もう駄目、お医者に連絡したら警察が来るみたい。顔は赤紫だし舌も出てどうしよう」
「分かった、警察が来るまでは触れないから、後で〇〇君の顔と舌は何とかするよ」
「うん、分かったありがとう。待ってるね」

この時、初めて首吊り遺体を見ましたが、その後何度も見た首吊り遺体より顔はひどかったです。余談ですが、首吊りは軒下にロープを掛けてのイメージが強いですが、一番多いのはドアノブに紐です。『えーっ、そんな低い所で?』が常人の感覚ですが、死にたいと思ってる人なら可能です。たぶん自殺は拘束衣でも着せて24時間監視しなければ防げません。話を戻すと、当時の知識では少し出た舌の対処はできませんでしたが、狼狽(ろうばい)してる姉に代わり、儀兄の変色した顔にシミが隠せるファンデーションを塗ったのは僕でした。

その後、義理の両親と上手く行かなくなったようで、まだ小学生の子供を連れて家を出て、その後は一切の援助もなく生活してたようですが、何かあれば来るだろうし、下手に心配すると自分が惨めになるだろう姉の性格を考え、あえて何も言わず数年が過ぎたある日、妹から電話で、姉がスキルス胃癌の末期で入院したが余命3ヶ月程度だろうと聞かされました。

本人は知らされて無かったようで、入院先に見舞いに行くと元気に話してくれました。
「癌らしけど2~3か月で退院できるって言われた」
「そうなんだ、良かったじゃん」
「うん、あまり心配しなくて良いからね」

笑顔で話す姉、2~3か月で退院――、確かに余命2~3か月と聞かされてるから退院には間違いないけど――、顔が引きつらないよう笑うのが精一杯でした。普段がそれほど逢ってる訳じゃないのに、あまり頻繁に行くと怪しむだろうと1か月後に行くと、姉は少しイライラしてるようで、

「ちっとも良くならないし、悪くなってる気がするんだよね」
「一旦悪化したようになってから良くなる好転反応か瞑眩(めんげん)反応じゃねぇの」
「そっか、そうかもしれないね」
「子供達もいるんだから、医者の言う事聞いて早く治せよ」
「うん、わかった、ありがとうね」

更に1か月後に行くと、死を覚悟してたようです。
「ねぇ、ちょっと良いかな」
「ん、なんだい」
「私が死んだら、誰にも顔を見せないでくれる――、」
「いきなりどうしたんだよ」
「私、もう長くないよ、何となく分るんだ。こんなに痩せこけた顔、自分でも自分じゃないみたいだよ。だから今の顔は誰にも見て欲しくないし、みんなには元気な時の私を覚えておいて欲しいからさ、お前なら約束守ってくれると思って――、」

肯定したら姉の終幕を知ってる事になるし、否定したら姉は自分の終幕が近い事を、更に伝えようとするだろう――、どうしようか迷いましたが、死を覚悟した姉の願いを聞くことにした。
「うん、わかった。姉貴の顔は誰にも見せないと約束するよ」
「うん、ありがとう――、」

人生を終えた姉の顔は、化粧で誤魔化せないほど痩せこけて別人でした。逝去直後の顔は家族だけが見ました。普通なら布団安置するはずでしたが、姉の希望を叶える為、すぐに納棺し顔には当て布を掛け、最後まで棺のふたを開ける事はありませんでした。

当時の僕は化粧できませんから何一つしてあげられず、誰にも顔を見せない約束を果たす事しかできませんでしたが、あの時点で今の化粧技術があったら、
「心配すんなよ、俺がいつもの綺麗な姉貴の顔になるまで化粧してやるから問題ねぇよ」
と言ってあげられたし、
「うん、そうだよね。いつも以上に美人でも良いからね」
って姉貴は言ったかもなぁ、せめて死後の見た目の不安だけは無くしてあげられた――、

叔父叔母、祖父母、母親、儀父母の葬式で泣いた事はありませんが、姉の死だけは涙が止まりませんでした『人生やり直せるならやり直して欲しい』もし本当に輪廻転生があるなら『平凡で天寿を全うする人生での輪廻転生をして欲しい』と思ったのを思い出します。

老衰、病死、事故死と人は様々な状況で終幕を迎えますが、正常な精神状態であるなら、絶対に選択してはいけないのが自死です。義兄が自死した時、きっと正常な精神状態では無かったでしょう。義兄だけでなく自死を選択する人の多くは正常では無いでしょうが、自死は自分だけで済まず、後に残した家族の心にも決して消せない傷跡を残すなどリスクが大き過ぎる「死」だと思う。常日頃から自死だけはすべきでないと自分に言い聞かせ、潜在意識に刷り込めれば回避可能かもしれません。

僕の父親も自死でなく蒸発を選択したから、終幕までの人生をそれなりに過ごした話しを聞け、それが惨めで路頭に迷う人生では無かった事に『良かった』と思えたのです。

また姉のように毎年、癌検診してても癌で亡くなる人は沢山います。僕がサラリーマンの最後に勤めてた会社の社長も数年前に癌で逝去されましたが、毎年の健康診断と癌ペット検査も受けてたそうですから、余裕があるなら、もっと詳細な部位まで検査する必要があるのでしょう。

僕自身50代まで、死への現実味が無く対岸の火感覚でしたが、世の中の死は必ずしも『年齢順ではない』という現実を忘れてはなりません。「いつか死ぬけど、すぐ死ぬことはない」誰でも思うでしょうが、そう思ってる人達が今日明日に終幕を迎えてる現実を忘れてはいけません。

これは脅かす為に言ってるのではなく、保険同様、万が一の準備だけすれば、その後は考えたくもない死など考える必要は全くないのです。また死後費用が明確になっていれば、恐れる必要もなく、死後の対処方法と費用だけは『穏やかな心』で『安心して』生活できるはずです。

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